はじめまして。私はフランスに住んで15年になります。現在はアーティストとしてフランスを拠点に活動しています。フランスに来たきっかけは留学でした。当時25歳の私はアーティストになりたい。と、大学卒業後にフランスへ渡りました。

留学を考えだしてから、今だ!という時に思い切って行動する事がどんなに大切で必要な事かを沢山体験しました。そんな中、その時々で出逢った人や出来事はどんなに自分を成長させてくれたことでしょうか。

これはそんな私の語学留学生だったフランスについたばかりの頃の留学体験談です。

フランス留学の場にリヨンを選んだ理由とは?

リヨンを選んだ理由とは?

フランスの美術学校の日本の修士課程にあたる4年生に編入するのが当初の目的でした。美大の入試には作品はもちろんですがフランスの美大の入試はフランス語が必須になります。なのでまずはフランス語の習得と滞在許可証の申請のために、語学学校に入りました。

私が始まりの街として選んだのは、フランスの第二の都市であるリヨンを選びました。リヨンを選んだ理由は、パリより地方都市のほうが生活費が安く、フランス語だけならパリである必要は無いのでは?と思ったからです。

ゆくゆくはフランスの美大で現代美術をきちんと学ぶ事が目的だったので、受験のため各地経受験をしてフランス全土を動く事を考えるとリヨンはフランスのどこの街にも行きやすいと言う事も大きなポイントでした。

語学学校の寮生活

私は通っていた語学学校であるリヨンカトリック大学の寮に住んでいたのですが、寮はほとんどが外国人で日本人も沢山住んでいました。しかし着いたばかりの私はとにかく寮では軽く食べて勉強をして眠るだけ、帰宅した後は全くと言っていいほど他の人と関わりませんでした。

しかし、一ヶ月ぐらいたったある日、毎日廊下ですれ違う日本人女性と話す事がありました。彼女は自分と同い年で、服飾デザイナーを目指して渡仏していました。ということで お互い共通する事が沢山会ってあり、すぐに友達になりました。

時間が経つにつれ、寮の中で他の日本の人と知り合う事も多くなりましたが気をつけないと自分の時間があっという間に無くなってしまいそうな人達もいて、そんな人たちとは自然にすぐ離れて行きました。

しかし孤独な異国暮らしの始まりの中、気軽に母国語でたまに話が出来る友がいることは正直心強かったですし、自分と同じような志で勉強している日本人の友人はとてもはげみになりました。

寮の部屋

寮のへや

寮はキッチンつきの部屋を申し込んだのですが、キッチンとは名ばかりで実際は9平方メートルの小さな部屋に冷蔵庫と電気コンロが洗面台とともにあるだけ、という部屋でした。

窓の外はローマ劇場の遺跡につながる斜面が緑いっぱいで、勉強につかれてふと視線をあげると、心地よい緑が目を癒やしてくれました。小さかったのですが勉強をするにはちょうどいい部屋でした。

そのかわり地下に共同スペースのキッチンと食堂があり、勉強に集中して時間が欲しい時は電気コンロで調理出来る簡単な物を食べて、休憩をしたい時や、誰かと食べたい時はそこで料理して一緒に食べる、という感じでした。

同じ思いの国籍の違う大切な仲間達との時間。

寮内にある共同キッチンなどの共有空間を使っていると、だんだん他の国の友達も増えて来ました。共通言語はみんな片言のフランス語。それでもみんな不安でまだ中途半端で、自国を離れたけどたどり着いた国にもまだ根付いていない。あのころのわたしたちは、そんな名もなき存在同士でした。

みんな生活の中の小さな出来事に一喜一憂し、フランスの全てが途方もなく見えたり、反対に自国のが優れていると確信を持ったり。毎日自分が非力な存在だということを味わいつつ、しかしそれでいて壮大な夢があり、野望があり、と、みんながみんなそれぞれのフランス生活のはじまりを暮らしていました。

みんなあこがれのフランスに着いて学びたい事やりたい事をやっている充実感の傍ら、フランス語を習得することやフランスに早くなれてこの国に自分の居場所を作る事に追われる毎日で、それは時として重く心にのしかかりました。

しかし言葉を超えておなかを抱えて笑ったり、夜遅くまでお互いの話をしたりできるそんな国を超えた同じ志の仲間がいた事は、部屋にこもって勉強ばかりするよりも大切な時でした。

その時の友達は国籍を問わず15年経つ今でも連絡をとりあい、先日、久しぶりにリヨンでまだフランスにいるあの頃の仲間と会えることとなり、当時、宿題をするために学校帰りに通っていたカフェで会いました。

「お互いに何となくあの頃の夢は叶ったねー」「でもまだまだだよねー、みっともなく頑張っていたあの頃があってよかったね!」と、笑いながら話し合えました。

まとめ

留学の始めは語学学校に行かれる方が多いと思います。その始まりの年は言葉だけではなく、その時にしか体験出来ない事、出逢えない友人、自分の行動力など、もう一度同じ事をしたいと思っても絶対出来ない、一度きりの始まりの時間を体験するでしょう。

その全て手探りの日々の経験と自分がまるごと、その後の自分の暮らしに繋がっていきます。言葉も思うように出なくて、無知でみっともなくても、どうにかしようともがいていた日々は美しいです。

わたしにとってあの小さな部屋で過ごした一年は、フランス人社会に出て行く前の特別で必要な時間でした。