はじめまして、Fionaです。留学して中国語(普通話)をマスターしたいと考えている方は多いと思います。以下は、2005年から2007年の私の台湾留学体験記、そして昨年末、約10年ぶりに再び台湾を訪れた時の経験談です。

中国語の語学留学を考えている皆さんの期待を最大に、不安を最小にできるといいなと願いつつ…。(中国語に興味を持っている読者のために、いくつか出てくる中国語の単語、センテンスには、ピンインと声調が数字で添えられています)

中国語で4センテンスしか言えなかった私

きっかけ

台湾留学を決めたきっかけは、日本国内で、外国人援助のボランティア活動を一緒にしていた仲間の一言「中国語は、発音と四声が決め手。日本で独学して変な発音を身に着けちゃうと後が大変だから、さっさと中国語圏に行った方がいい」。

そして彼が勝手に?以前自分が台湾に住んでいたころ親しかった友達夫婦に連絡をしてくれちゃったことです。もちろん、私自身も、日本でお手伝いの必要な外国人の方は、英語話者より中国語話者のほうが多いと感じていたので、中国語をきちんと学びたいな、と思ってはいたのですが。

いろいろなことがトントン拍子に進んで、特に言語の面では、ほとんど準備をせずに、気がついたら台湾にいて、町に充満する五香粉(台湾でよく使われるスパイス)の香りを胸いっぱいに吸い込んでいたのでした。

当初の予定は、台湾で一年間、語学学校に通うこと。手持ち金は100万円。その時話せた中国語は…

  1. 你好 ( ni3, hao3 )
  2. 謝謝 ( xie4, xie )
  3. 再見 ( zai4, jian4 )
  4. 廁所在哪裡? ( ce4, suo3, zai4, na3, li ) トイレはどこですか?

4センテンスだけでした。

学校を決めた理由

わたしは、学生ビザを取って、一年間しっかり学びたかったので、大学に併設された語学センターを選びました。(数週間の短期留学のための補習班と呼ばれる塾もあります)

住んでいたのが新莊という場所だったので、家から一時間以内で通えるいくつかの大学の言語センターを比較してみると、初級、中級の授業で使う教科書はすべて同じ(今でも使われている”實用視聽華語”という教科書です)、授業時間はどこも月から金曜日に毎日二時間でした。

それで、一学期あたりの授業料がほかの大学より数百元安い、中国文化大学華語中心(台北市大安区)に決めました。後から書くのですが、当時、この大学の言語センターだけが奨学生選抜試験の方法が他の所と違い、それで私は大いに助けられることになります。

聴×20+看×1=理解

語学センターでの授業が始まるまで、約二週間待たなくてはいけませんでしたが、中国語の学習は、台湾に到着したその日からスタート。近所の人、市場や商店のおじちゃんおばちゃん、大家さん、そしてルームメイトたち(私より半年早く台湾留学を開始)の紹介で知り合った沢山の友達が私の最初の先生になりました。

幼児が言語を学ぶ方法で、つまり、<全く意味の分からない言葉を聞いて、聞いて、聞いて…シチュエーションで意味を判断し、真似して言ってみる。相手の反応を見て…よし、ここで使ってOK !>のやり方で言語を学ぶ経験を初めてしました。

幼児と違うところは、漢字を見て理解できること。日常生活で何度も(おそらく20回以上)聞く言葉は耳に残り、後で、それを漢字で書くとどうなるかを知ると「そっか!なるほど~」と発見の喜びと感動。そうやって言葉が頭に刻み込まれていきます。「聴×20+看×1=理解」の法則を見つけました。

ちなみに、学校に通い始める前に、毎日の生活の中で聞いて学んだ言葉は、数字や値引き交渉に使うセリフの他に、歡迎!(huan1 ying2, ようこそ!)、好吃!(hao3 chi1, 美味しい!)、差不多(cha4 bu duo1,だいたい)、 隨便(sui2 bian4, 適当)、 沒關係! (mei3 guan1 xi, 大丈夫!)です。おおらかで、細かい事は気にしない台湾人の笑顔が目に浮かぶ言葉でしょう?

言語学校

中国文化大学華語中心(語学センター)での授業が始まって、一番新鮮に感じたのは、中国語を中国語で学ぶ、というレッスンスタイルでした。

初級1のクラスには、私ともう一人の日本人の他に、年齢は10代から40代までのインド人、インドネシア人、イラン人、カナダ人、韓国人、フランス人がいて、それぞれの母語も違うので、先生は、媒介言語を用いずに簡単な中国語と身振りで授業を進めていきます。

教科書には、単語の意味や文法の手短な説明が英語で書かれていますが、英語が分からない人でも、授業を十分理解できます。頭の中で母語や他の言語で考えてから、中国語に訳すという過程を経ない学習、これが海外で言語を学ぶ最大のメリットだと感じました。

毎日の授業は2時間だけですが、いつも「2時間で十分、頭重い…」(そして、しばしば言語頭痛…)と下校。先生によって量は違いますが、毎日宿題が出ましたし(特に、日々中国語で書く日記の宿題には苦労しました)、毎週金曜日には単語や文型、朗読のテストがあったので、かなり勉強している感はありました。

授業は実践的で、楽しいものでした。先生方は言語教師というより、中国語トレーナー、コーチといった感じで、生徒が能動的にどんどん話して、中国語で自己表現するように常に励ましてくれました。

毎日の生活で中国語ネイティヴと話しているので、授業で学ぶ中国語は、ほとんど「聞いたことある」ものでした。それを「自分でも言える、読める、書ける」ようにサポートしてくれるのが語学センターの授業だったと思います。

渡台半年後、中国語の壁の厚さを知る

話せる中国語は4センテンス、聞き取り力ゼロで始めた台湾生活でしたが、朝から晩まで中国語のシャワーを浴びられる環境は、私の両耳にもう一つの穴(中国語聞き取り用)を開けてくれたようでした。

台湾に渡って3カ月ごろから、ネイティヴたちの言っていることがだんだん分かってきました。半年後には75%くらいは分かるような気がしてきました。(かなり楽観的な見方か?台湾人の影響?)

以前、アメリカに短期留学した時は、聞き取れる≒話せるだったので、中国語もそうだろうと思っていたのですが…甘かった!やはり世界でも屈指の難解言語と言われるだけのことはありました。

聞きとれても、自分の話すことをネイティヴに理解してもらえない…中国語を話すときに求められる四声(音の高さのアップダウン)の正確さに欠けていたためでした。

中国語を話す時に、差不多(cha4 bu duo1,だいたい)、 隨便(sui2 bian4, 適当)だと、とんでもない誤解が起こります。例えば、尋ねる、聞く、という意味の問(wen4)の四声を間違えると、聞(wen2,においをかぐ)や吻(wen3,キスする)という意味になってしまいます。私はこれで、何人かの男子を赤面させました。

外国語を学ぶに時は、ユーモアのセンスと自分を笑えることが大切と言われます。私も自分のおかしな言い間違いを笑い話にしていたのですが、さすがに、私が話すと、首をかしげて考え込む複数のネイティヴたちを前にして、だんだん焦ってきました。

「一年の予定で来てるのに…。聞き取れても自分の意思を伝えられないんじゃ、言語をマスターしたとは言えないし、使えない、まして人助けなんて…。」半年で100万円から60万円に減った貯金の事を考えつつ、落ち込んでいました。

お金が足りない…それなら

奨学金

一年で中国語をものにするのは無理かもしれないし、一年ぽっちで大好きな台湾を離れるのもいや!でも、貯金は減っていく…悶々としていた時、留学生仲間から、「奨学金の試験、受けてみれば?まだ初級でしょう?今がチャンス!」と言われました。

台湾政府の教育部から出る奨学金は、語学センターで学ぶ外国人にも支給され、しかも返還不要!各語学センターで試験を行い、合格した10~15人が半年間、奨学金を受けられました。

金額は2005年当時で毎月15,000元(今は、25,000元になっているようです)。学費、生活費を全部賄うにはちょっと足りませんが、それでも非常にありがたい!

私が通っていた中国文化大学語学センターで行われていた奨学生選抜試験は、まず、レベルごとに用意された筆記試験を受け(留学生仲間が「奨学金試験を受けるのは、初級がチャンス」と言ったのは、このためです。初級のテストは難しくないから。)合格者は二次試験(プレゼンテーション試験)に進むというものでした。

当時、一次、二次と二回の試験を実施していた学校は、台北付近では中国文化大学だけでした。他の学校は一度の筆記試験で合否が決まっていました。

奨学金の試験の準備期間は2,3週間でしたが、頑張りました!中国語を上達させたい、という目標に、奨学金というリアルな目標が加わったことが、私を熱くしました。

試験当日、「この語学センター、こんなに学生いたっけ?」と思うほどの受験生の数…。でも、隣の席の受験生(恐らく中級か中高級)の繁体字いっぱいの問題用紙が目に入り、「初級で受けといてよかった~!」と少し気持ちに余裕をもちつつ、試験を受けられました。

一次試験の合格発表、自分の名前を見つけて「よしっ!」と思うと同時に、「合格者多すぎ…この中から10数人…」と新たな緊張が生まれました。一週間後の二次試験は、与えられた3つのテーマの中から一つを選んで、5分間、パワーポイントのスライドを使いながらスピーチをする、というものです。

また、一週間燃えました。台湾人の友達の厳しい演技指導も受けました。この時、「中国語を使って複数の人に伝える」ために必要なことをいろいろ学んだ気がします。正しい発音と声調はもちろん、十分な音量、表情、身振り手振り、聞き手を自分の話に巻き込むこと、自信を感じさせる態度などです。

二次試験は、試験管の先生たちの前でのプレゼンテーションだと思っていたのに、会場は大きなホールで、100人以上の聴衆を前にしてのスピーチコンテストのような試験でした。

手汗が半端なく出ましたが、台湾人の友達の演技指導の通り、5分間、話し切りました。さらに、これも事前には知らなかったのですが、スピーチの後、試験管の先生たちから、スピーチの内容についていくつか質問を受けましたが、これも台湾人の友達と話した事のある内容だったので、切り抜けることができました。

合格を知らされた時、ピョンピョン跳ねて喜びました。跳ねながら、ちょっと涙がこぼれました。助けてくれた友達への感謝、台湾滞在を延ばせる喜び、そして自分の中国語はネイティヴに通じないという不安からいくぶん解放された安堵感などから出た涙でした。

アルバイト

台湾で、生活して半年くらい経った頃から、台湾人の友人たちから日本語を教えてほしいと頼まれるようになりました。「好きなジャニーズアイドルの歌の歌詞が分かるように、教えて」という軽いお願いもあれば、大学で日本語を学んでいる学生さんの「テストの前の勉強を助けて」という依頼もありました。

「ネイティヴと話すのは、私も勉強になるから」と授業料を受け取るつもりはなかったのですが、定期的に日本語を勉強したい人たちからは、「授業料を払わせてほしい」と言われて、週に数時間、家庭教師として授業料をもらって教えました。

後には、なぜか中学生の数学を教える家庭教師も頼まれ(日本での仕事が塾講師だったとはいえ、「ルート」とか「二乗、三乗」という基本的な数学用語も言えない外国人に頼むなんて、本当に何を考えていたんだ、あの親御さんは…)、少しですが、収入を得ることができました。

魯肉飯 (lu3 rou4 fan4, ルーロウファン)

貧乏学生の味方、台湾のB級グルメは沢山ありますが、特に忘れられないのは、魯肉飯(滷肉飯とも書く)です。豚バラ肉を細切れにし、甘辛い煮汁でじっくり煮込み、煮汁ごとアツアツご飯にかけていただくというもの。

台湾のほとんどの大衆食堂で食べられるものなのですが、とにかく安い!うまい!10元で、ご飯茶碗一杯。20元出すとその三倍以上の量が、どんぶりで出てくるんです。毎月、奨学金を受け取る前の、お財布が寂しい時に、ルームメイトとよく食べていました。

メニューの上には「忙しさのせいで、もしかしたら笑顔を忘れることがあるかもしれません。無言の”ごめんなさい”をお伝えします」という店主からのメッセージ。

台湾の大衆食堂

ホームシックゼロはなぜ?

長期間海外で生活していると、ホームシックになるんじゃないか、とよく聞かれますが、私は1年8カ月の台湾滞在中、一瞬たりともホームシックになることはありませんでした。(日本の家族には、あまり大声で言えませんが…)どうしてホームシックにならなかったのか、主な理由は2つです。

フレンドリーな台湾人

台湾人は情に厚くて、親切です。知り合ってすぐに、「一緒にご飯を食べよう」、「お茶入れるよ、一緒に飲もう」、そのうち「うちにカラオケしにおいで」、「お正月の休みは、一緒に台湾半周旅行をしよう」となり、その人だけでなく、相手の家族、親戚、友人とも自然に知り合い、仲良くなることができます。

話好きの人が多く、世間話だけでなく、自分の人生経験や悩みなど、重い話もどんどんしてきます。そして、こちらのプライベートについても尋ねてきて、少しでも困ったことがあるなんて言おうものなら、全力でアドバイスをしてくれたり、助けようとしてくれます。

「ちょっと貧血気味」と言ったら、次の日には貧血に効くという漢方の丸鶏スープ(鶏の両足がこげ茶色の液体からとび出ていた)を大鍋に作ってきてくれる、といった具合です。

最初はちょっとウザイと思いましたが、彼らとお茶を飲みながら、大口を開けて笑い、時には涙しながら何時間もおしゃべりし、彼らの家のリビングでカラオケを歌いながら(「日本の曲あるよ!」と誘われて行くと、だいたい「上を向いて歩こう」、「天城越え」、「津軽海峡冬景色」のどれか)肩を組んで音楽に合わせて揺れていると、「こういう熱い人間関係、いいよな~」と心地よくなって、ハマっていきました。

個人的な友達以外の台湾人も、親日派ばかりです。軍国主義時代の日本の統治を50年受けた経験があるのに、不思議です。(ここで歴史については、書きませんが、アジアの国々に留学することを考えている皆さんは是非、軍国主義時代の日本とアジアの国々の歴史を知ってから、留学してください。)

私は後に中国本土で仕事を始め、7年半中国に住んでいますが、中国では、個々の中国人の情の厚さ、親切さは台湾人と変わりませんが、やはり教育やメディアの影響で、日中間の関係が緊張すると(尖閣諸島問題の時など)、自分が日本人だと公言すると、危険を感じるようなことも、たまにあります。それで、台湾人の日本大好き!日本人大好き!には驚かされます。

ホームシックの主な原因は、食生活の変化だと聞いたことがあります。その点、台湾の食べ物は、ホームシックを起こしにくい食べ物と言えるんじゃないかと思います。もちろん、「使っているスパイスの匂いがちょっと」とか「豚の耳とか鶏の足(一番先端の爪の部分)なんて絶対無理!」という人もいますが、選べばいいんです。

台湾では、コストの心配をせずに、季節ごとの新鮮な果物、夜市や屋台の小吃(xiao3 chi1,軽食、おやつ)、かき氷などのデザートをお腹一杯食べてください!ちょっと贅沢できる時には、茶館に入ってゆっくりと台湾茶を楽しんだり、小籠包で有名な鼎泰豐(ding3 tai4 feng1, ディンタイフォン。レストラン名)に行ってみるのもお勧めです。

我的兄弟姐妹,再見!

涙の別れ

当初、一年間の語学留学をする予定で行った台湾。「もっと居たい!」という願いがかなって、滞在を8か月延長しました。語学センターでは、初級の三学期、中級の三学期、中高級の一学期まで終了しました。

自分の話す中国語がネイティヴに通じない、という悩みもいつの間にか無くなっていて、中国語で楽しくコミュニケーションしている自分がいました。「学んだ中国語を使って、本場中国で仕事をしてみたい」という新しい目標が出来たので、帰国を決めました。

帰国の日、台湾人の友達が車で空港まで送ってくれました。私の荷物がたくさんあるのに、車の定員一杯の友達が一緒に来てくれました。友達と呼ぶより、兄弟姐妹と呼んだ方がふさわしい彼らと、涙でハグして別れました。

離陸した飛行機の上から、1年8カ月過ごした台湾を見ていたら、また涙が止まらなくなりました。「家族」のいる第二の故郷、再見!

そして10年後…

10年ぶりの台湾で

中国語の”再見” には、「さようなら」の他に、字の通り「再び会う」という意味があります。そして、本当に10年後の2016年に台湾を訪れ、兄弟姐妹に会うことができました!

10年前の子供たちは、私より背が高い大人になっていましたが、それ以外の兄弟姐妹は、笑いジワが増えた程度で、変わらず。私のことも「話し方が、中国本土っぽい巻き舌になった以外は変わらないね~!はははっ!」と言って、強くハグしてくれました。「帰ってきたな~」という幸せな気持ちになりました。

まとめ

台湾の環境、学校、そして家族のように支えてくれた台湾の友たちのおかげで、中国語をマスターしたい!という願いがかないました。今は中国で、毎日中国語を使って仕事をしています。

中国語の語学留学を考えている皆さん、候補地の一つとして台湾を考えてみることをお勧めします!言語習得の他に、良き友や第二の故郷の発見もできるかもしれませんよ!