洋楽や洋画が大好きだった私は、ずっと外国での生活に憧れていました。

20代半ばに初めて海外旅行に行ったのをきっかけに英語を習い始め、そこでワーキングホリデーという制度があることを知りました。

外国に1年間滞在でき、その間語学学校にも通うことが可能、就労許可もついていて旅もできるという夢のようなビザです。

こんなチャンスはないと思い、29歳で思い切って8年続けていた介護職を辞め、オーストラリアにワーキングホリデービザを取得して渡航することを決意しました。

オーストラリアのワーキングホリデービザを選んだ理由

オーストラリアへのワーキングホリデーを選んだ理由

夏と海が大好きな私にとって、国全体が綺麗な海に囲まれていて太陽をたっぷりと楽しめるオーストラリアはまさに理想の国でした。

フレンドリーでせかせかしていない国民性も、自分に合っていると思いました。

そして日本との時差も1時間なので、家族といつでも連絡が取れるという安心感があったのもオーストラリアを選んだ理由の1つです。

語学学校とホームステイでの滞在について

最初の3ヶ月は、ヌーサ(Noosa)というサンシャインコースト沿いにある小さな町でホームステイしながら語学学校に通いました。

せっかく外国にいるのだからと日本人が少ない場所を選んだのですが、期待通り、学校はスイス人やブラジル人、韓国人が多く、学んだ英語を使うには最高の環境でした。

いろんな国の友達がどんどんでき、学校の課外授業ではオーストラリアの自然や文化、歴史を共に学び、毎週末はビーチでバーベキューをしたりと毎日がとても楽しかったです。

ホストファミリーも家族のように接してくれ、学校では習わないことを生活を通して学ぶことができ、たくさんの良い思い出ができました。

ワーキングホリデー延長に必須、3ヶ月間の季節労働

学校を卒業するころにはすでにオーストラリアが大好きになっていて、ビザをもう1年延長申請してトータル2年滞在したいと強く思っていました。

そのためには3ヶ月以上季節労働をしなければいけません。

そこで政府が指定する田舎町へ行き、仕事も手配してくれるバックパッカーに滞在することにしました。

私が滞在したのは国際色豊かなバックパッカーで、語学学校では出会えなかったイギリス人やヨーロピアンたちと共に濃い3ヶ月間を過ごしました。

みんなで朝早く起きて農場へ行き、炎天下の中汗を流して農作物を収穫し、夜は労をねぎらいあってお互いの国のご飯をふるまいあいました。

ビザ更新のために農場で働くのは大変なことでしたが、そこで共に働き、食べ飲み、語り合い、寝て、泣いたり笑ったりできた出会いは一生の思い出です。

バックパッカーとしての旅

バックパッカーの旅

無事にビザ更新できた後は、農園で稼いだお金を手にオーストラリア一周の旅に出かけました。

オーストラリアにはたくさんの世界遺産があり、それを全部この目で見たかったし、新しい場所で新しい人たちに会えるのが楽しみだったからです。

主にバスで移動し、窓から見えるオーストラリアの景色を楽しみつつ旅をしました。

綺麗な海岸線を走ることもあれば、内陸では赤い大地を走るカンガルーが見えたり、南の少し寒い地方では羊の群れがいたりと、バスでの移動は景色の変化が楽しめてすごく良かったです。

お金が少なくなってきたら、仕事ができそうな町へ行き、仕事を見つけては数ヶ月働き、お金を貯めてから次の目的地に向かいました。

田舎町ではバナナを出荷する工場で働いたり、都市では日本食レストラン、ブッティックなどで働きました。

どれも日本では出来ない経験で、各仕事ならではの英語も覚えることができ、とても楽しかったです。

エアーズロック

グレートバリアリーフや、エアーズロックなどの壮大で美しい世界遺産はもちろんのこと、オーストラリアの大自然を見るとき、その都度、言葉では表せないくらいの感動をおぼえました。

オーストラリア・ワーキングホリデービザのまとめ

日本で仕事にやりがいを感じて一生懸命働いてた頃は、まさか自分がでっかいバックパックを背負って旅をするバックパッカーになるなんて思ってもみませんでした。

でも、思い切って決定し、行動してみて良かったです。世界中のいろんな人種の人たちと出会い、時間を共にし、オーストラリア各地の美しい大自然を見れたことは一生の思い出です。

もし海外留学であれワーキングホリデーであれ、外国に行くことを考えられているのであれば、良い準備をして思い切って行動してみることをお勧めします。

期待以上の素晴らしい経験ができますよ!