中学校から英語の授業が開始され、そのころから洋画、洋楽、外国人の先生とのふれあいが楽しいと思うようになり、英語にとことん興味を持ち始めました。

そして高校生2年生になり、夏休みを使ってオーストラリアへ語学留学&ホームステイに行き、本物の英語や文化に触れ感動して帰ってきたのを今でもはっきりと覚えています。

その時に学校やホームステイ先で披露した、趣味の歌。現地の友達や先生、ホストファミリーの考え方は、「音楽も英語もそんなに好きなら両方とも本格的に勉強したらどう?」というものでした。

好きなものに囲まれている人生。プロを目指して突き進む。そんなことか実現できたらいいのにな~!と思うようになっていました。

アメリカ・ボストンに音楽留学したい!

高校生の時に感じたとても強いフィーリングはずっと忘れられず、心のどこかに引っかかったままでした。そして音楽も英語も本格的に学ぶことができる、音楽留学を決意。

どの国にするのか、どの地域にするのか、具体的になにを専攻するのか。留学セミナー、学校の説明会、在学生・卒業生の交流など時間をかけて慎重に学校選びをし、晴れてバークリー音楽大学合格、入学しました。

自分で決めたこと、好きなことだからきっと大丈夫!最後までやり通せる!プロになるんだ!これをモットーに入学試験、渡航手続きなども乗り越えられました。

現地での学生生活を送る中ぶつかったいろいろな壁

いろいろな壁

胸を張ってボストンに到着。どんな友達ができて、どんな授業が始まるのか、小学校1年生のワクワクと同じものでした。しかし、そこには大きな壁が待っていました。

まずは英語。当然のことながらネイティブの話し方は早く、学校のリスニングのように丁寧にわかりやすく話してくれるひとはだれ一人といない。

先生の言っていることはほとんどわからず下を向いて帰宅する毎日。

必須授業の討論のクラスは英語で自分の意見を言うことすらできず、思わず授業後に泣いてしまいました。

アメリカの大学は宿題が多いとは聞いていたものの、想像以上に量があり、憧れのキャンパスライフとはかけ離れていました。

文化も最初は馴染めませんでした。学校から寮に戻り、玄関でも部屋でも靴を脱ぐことができなくてなんだか変な感じ。

寮のカフェテリアでの食事もすぐに飽きてしまい、ご飯とお味噌汁、納豆が食べられないもどかしい生活。

歌が大好きで、もっと上手くなるんだ!と意気込んで留学したものの、毎日が目まぐるしく、変化が想像以上にストレスで、歌には全く意欲がなくなり、全然集中できなくなってしまっていました。

意気消沈、まさにそのものでした。

楽しい現地ならではの体験

楽しいアメリカならではの体験

入学して1年も立つと、生活や文化、学校のペースにも慣れて身の回りのことをもっと幅広く見れるようになりました。

ボストンならではのイベント、ボストンマラソンの応援やメジャーリーグ「Red Sox」の観戦、ボストン美術館、ケネディー博物館、ホエールウォッチングなど遠方まで足を運び生活を満喫できるようになりました。

また、アメリカの夏休みは3か月あまりと長期なので、友達とアメリカ国内、ロサンゼルスやマイアミなどのバケーション旅行もエンジョイ!

また、ハロウィーン仮装パーティー、学年末のクルーズパーティー、Thanks giving day、Black Friday、クリスマスなどは、アメリカならではの体験もしてきました。

英語の上達もなかなかしませんでしたが、そんなことにはめげず、恐れず、アメリカ人やヨーロッパ人の友達とどんどん遊んだり、話しかけたりするようになっていました。

その頃から歌に対する考え方も変わってきました。自信をもって、メリハリをつけて過ごすことで効率よく、前向きに頑張れるようになり、「私は本当に歌が好きだったんだろうか?」なんて悩むこともなくなりました。

ボストン音楽留学で自分自身、いろんな意味で成長しました

今振り返ると、留学生活は、楽しかったことも辛かったことも同じくらい、沢山ありました。

でも親元を離れて初めての海外で一人暮らし、アメリカの大学に通い、沢山の友達に出会えたこと、すべての経験を一生忘れることはありません。

貴重な20代を有意義に過ごせたと思います。特に、アメリカは人種の坩堝と言われ、さまざまな国、考え、宗教の人たちが共存している社会です。

そこには正誤や良し悪しはないということや、個人の考えや主張が尊重され、個性を大切にするということを知りました。これは私にとってとても刺激的で大きな影響を与えました。

ずっと日本にいたら、こういう体験、概念すら持っていなかったかもしれません。他の何にも代えられない付加価値を得ることができました。