私は、ドイツの芸術大学で現代アートを学びました。日本ではまったく現代アートの経験がなかった私が、どのような留学をしたのかお知らせします。

芸大の雰囲気

ブラウンシュバイグは地方都市で、人口25万人ほどです。工業都市で、ちょっと保守的なところがあります。しかしそこの芸術大学は、オープンでアットホームな雰囲気です。

私が専攻したFreie Kunst(自由芸術)のほかにも、デザインや美術史、メディアについても学べます。美術史の学生はほとんど女性なので、どちらかというとオシャレな女性をよく目にしました。調べるみると、学生が合計1000人いるらしいですが、そんなにいたのかと思うほど静かなキャンパスです。

芸大での勉学

芸大での勉学

自由芸術科は、5年間のディプロームコースです。学生たちは、いわば芸術家の卵です。入学して、まずどのクラスにいくかを決めます。

ひとつのクラスにつきひとりの教授がいて、それぞれ特色があります。その教授が画家であれば、いわば絵画クラスになります。ほかにも彫刻、ビデオなどがあります。きびしい教授もいれば、やさしい教授もいます。

1年目は、Grundklasse(基礎クラス)になります。いってみれば新入生用のクラスです。クラスに入ると、そこの共同アトリエで制作することになります。たくさんの新入生用のアトリエが、ひとつの建物のなかに集まっていました。

1年目は、おたがい新入生どうし、別のクラスであっても、制作しながらたくさん行き来したりして、活気がありました。セミナーや講義も、新入生だとたいていいっしょでした。

2年目以降は、Fachklasse(専門クラス)になります。そこで2〜5年までの人とまじります。先輩後輩はありませんが、基礎クラスにあったような和気あいあいとした親しみより、ちょっとおちついた雰囲気になります。

ひとつのクラスに、ふつうは4年間とどまります。私は、ひとつのクラスにとどまらず、絵画も彫刻もやっていました。

アート制作は、勉学のなかでやはりいちばん時間を費やします。大きな作品では、全長3メートルにもなりました。彫刻は、材料費にお金がかかります。絵画は、boesnerというリーズナブルな画材屋がとなり街のハノーファーまで行かないとなかったので、ちょっと不便でした。

クラスでは、2週間に1回ほどPlenum(全体会)がありました。14時から夕方、ときには夜までつづきました。何人かの学生が、作品をプレゼンテーションして、教授やほかの学生たちが意見をいいます。

「こう感じるな」「この表現では伝わらない」など、おもにその作品が成功作か失敗作か、今後どうすればいいのかなどを話しあいます。

ハードルの高いクラスでは、みんなにみせるのをいやがる学生もいます。なにせかなりいい作品でないと、1対20くらいでボロボロに言われますので。

クラスによっては、教授がかなり威光をはなっていて、学生たちがたとえ否定的でも、教授1人が「すばらしい」と言えば、みんなもそう思うようになります。逆に、やさしいけど権力を感じない教授のもとでは、一部の学生がかわりにご意見番だったりします。

議論は、日常的なことから哲学的なことまでさまざまです。なんといっても現代アートは、どんなテーマでもOKです。留学生もしゃべったほうがもちろんいいですが、やはり言葉の壁もあって1、2年はついていくのが難しかったです。

また、話がうまいというのと芸術ができるというのは別の才能で、議論はうまくしゃべれるけど作品自体はアレッ?という学生もいます。私はあまりしゃべらず、作品をとにかくたくさんみせるタイプでした。

クラスとしての活動は、Plenum以外にも、美術館めぐりやプロジェクトもあります。ベルリンに出向いてプロの芸術家のアトリエを見学したり、フィレンツェでの彫刻めぐりや、クラス展をひとつのギャラリーでひらいたりしました。

ドイツ留学まとめ

ドイツ留学まとめ

現代アートの留学生活は、チームワークというものがほとんどないです。たまに共同プロジェクトもありますし、2人でつくる芸術家コンビもいることはいます。が、1人でやることが圧倒的に多いです。そのため、制作しているとどんどん孤独になります。

また、強制的にやらなければいけないことも極端に少ないです。履修科目は、ほかの学科にくらべてほんの少し。というわけで、遊ぼうと思ったらいくらでも遊べます。現にほとんどアトリエに姿をあらわさなかったり、プレゼンテーションも最低限こなすだけの学生もいます。

もし遊ばずに学ぼうとするなら、1人でもできる、そして自主性のある人が求められると思います。クラスではよく、自分のアートを発展させるといいます。

私は、ヨーロッパの有名なアートフェスティバルに足を運んだり、テーマを広げるため、ちがう大学で講義もうけたりしました。私にとっては、有意義な留学でした。